自己肯定感とは? 近年、子育て…
前回までのおさらい
前回、自己肯定感とは何か?をYOGITZなりの言葉で説明させていただきました。
この記事をご覧の方には、まず、前編も併せてご覧いただいてから読み進めていただくことをおすすめいたします。
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こどもの自己肯定感をじゃましている惜しい大人の行動
前編で、否定ばかりされているこどもの自己肯定感が高まりにくいことについて触れました。
このことについて考えてみましょう。
では、否定する反対はどんなことでしょう。
褒める!!
実は、これがトリッキーなことです。
答えから言うと、これが半分間違いです!!
もちろん、褒めるということは必要です。
しかし、もう少し正確に言うと・・・
認める!!
でしょう。
”褒める教育”のような表現が正しいのではないことは、ご理解いただけそうでしょうか。
褒めてしまうと、こどもは自己肯定感を獲得しません。
できたこと、できていることを、認めてあげるのです。
やたらめったら「すごいすごい」と言われても、こどもは納得していません。
それどころか、間違った報酬を得るシステムまで導入していたら、
なおのこと、報酬を獲得することがこどもの目的に変換されてしまう、
つまり、これでは、自己肯定感は伸びないと言われています。
大人は、こどものできていること、できたという”事実を認めてあげる”だけにとどめるのです。
少しマニアックなお話を補足します。
前編で自分にOKを出すということが、ヨガの考え方に大切なこととされている事項だと触れました。
ヨガの指導者として、こんな話も絡めたいと思います。
“コーシャ”というものがあります。ヨガでは、”5つのコーシャ”の扱いが出てくるのでご存じの方もいるかと思います。
簡単に言うと、コーシャとは、私たちの構成要素です。私たちは、この5つの構成要素、”層”でできています。
5つの層のうち、”ヴィジュヤナマヤコーシャ”というのが、私たちが物事に対して「好き・嫌い」という判断をしてしまうシステム層です。
「好き・嫌い」というのは、ヒトの”感情”で、事実ではありません。
私たち大人が、こどもに「すごい」と言ってしまうと、それは感情です。
これは、例え、すごいと言った大人が、すごいと思っていったとしても、事実ではないのです。
同じことをこどもが違う人の前でやった時、「すごい」と言ってもらえるかはわかりませんよね。
そうではなく、”事実”だけを認めてあげるのです。
まるで、こども本人の思いを代弁するかのように・・・。
こどもの自己肯定感を引き出すパワーワード「できたね!」
こどもへの声掛けのことばを少し変えてみるだけでいいのです。
私も、キッズヨガのレッスン中、こどもたちへの言葉かけをこのように意識しています。
こどもへの手助けの範囲
では、「こどもに、何をやらせてもうまくいかない」そんな思いを抱く親御さんもいると思います。
上記の話を使うとしたら、うまくいっていないから「できたね」と言ってあげる場面が出てこない・・・なんて思われてしまうかもしれません。
「できない」とする子への対応にも、”大人のちょっと惜しい”になりがちな行動があるので、ここで解説です。
その前に、”できないとする子”と”できない子”は違います。
”できない子”だと、「できるものが何もない子」になってしまいますから。
本題です。
成功していない/課題が達成できていない子をには、大人の手助けが必要です。
しかし、手助けで留めていない大人もいます。
私がキッズヨガの幼児クラスのレッスン中に主に意識してやっているこどもへの手助けの過程を紹介したいと思います。
- 2歳であろうと、その課題/タスクを、こどもだけで完全ゼロから始めさせる
- しばらく観察する
- 難しいとしている子の隣に行き、見本を見せる
- それでもできない場合、あくまでも、こども本人の手足を主役に、私の手足を”添えて”導く
- それでもできない場合、そのタスクの完成(ゴール)の一歩手前ほどで私の手助けは終える
5つのうち、どれもが理由があり、大切としているので一つずつ解説いたします。
1について。
私のキッズヨガのクラスは、2歳の子が最低年齢です。私は2歳児さんを完全に尊重して、大きい子がやることと同じことをまずやらせます。
「2歳の子にはまだ無理」
そんなのは、勝手に大人が決めつけています。
2歳の子ですら、一人の立派なヒトとして向き合いましょう。
2について。
だからといっても、2歳の子は12歳の子よりもできないことが多いのも現実です。
それは年齢の差ではなく、私は”経験の差”だとしています。
2年間で得てきた経験と、12年間で得てきた経験では、その10年間の間に経験できてきた数は、単純計算では違います。あくまでも単純計算です。
要するに、2歳と12歳では違いすぎるかもしれませんが、
例えば10歳と12歳だと、10歳の子の方ができることが多いパターンになる場面はレッスン中に多々見られます。
もちろん、その子のもともとの器用さなども影響しているかと思いますが、
「いかに、そういう物事を今まで多く経験してきているか?」の違いが顕著です。
少し、話題がそれたかもしれませんが、大切なのは、大人が、
「早々にできそうにないと思い込んで手を出さない、口を出さない」
ということです。
手を出したいところ、今一歩、踏みとどまって観察してみましょう。
3について。
こちらは、ちょっとしたポイントが補足です。
それは、大人の位置。
隣で、こどもの目線と合わせてやってあげましょう。
4について。
3の続きになってくるかと思いますが、見本だけでは完成できない場合、ここでいよいよ物理的な手助けです。
しかし、ここで、こども本人の手足で物事が進んでいるかが大変重要です。
いつの間にか、気づいたら、”こどもが見ているだけ”になっていること、ありませんか?
手の出し方のポイントは、
まるで、子ども本人一人でそれを進行しているかのような手足の添え方であること。
あくまでも、やっているのは”こども”でありたい姿です。
5について。
4の続きになってくるかと思います。しかし、ここが、こども本人が自己肯定感を感じる瞬間なので、こども/場面によっては、最も重要になる瞬間なのです。
4の時に少し挟んだ、
いつの間にか、気づいたら、”こどもが見ているだけ”になっている状態 で、その課題が完成しても、
こどもは「できた!やったー」などと感じていません。
いうとしたら、「自分でやる手間が省けてラッキー!」ぐらいです。
「できた」という感覚は、当たり前ですが、自分の力で完成できた時にしか味わえません。
しかし、”何をやらせても、なかなか一人で完成できないことが多い子”が、
一向に完成でき、「できた」を味わう機会が訪れないとしたら、寂しいです。
大人の役目は、一つでも多くの「できた」をこどもたちに味わわせてあげることですから。
そこで、4でお伝えした手助けを、残りあと一歩までで留めます。
残りの一歩は、絶対的にこどもが一人でできるところ。
これは、少しこどもをだましているように見えてしまうかもしれませんが、あくまでも大人の正確な計算のもと、配分をかんがえてあげるのです。
逆に言うと、
最後まで大人の手がそこにあると、こどもたちは、
「私、(僕)一人でできたよ!」という感覚が得にくいもの。
そのため、残り一歩までで手助けはとどめ、そのタスクの本当にできる瞬間をこどもたちのためにとっておいてあげて欲しいのです。
大人が、こどもたちの「できた」を感じる瞬間を奪っていないか、見直しましょう。
こどものことを学べます